磐梯山は地獄だった

それは、うだるような暑い夏の日のことじゃった……
八月五日土曜日、晴れ。




 煙と一緒で高いところが好きな私は、磐梯山頂からは北に裏磐梯湖沼群、南に天鏡湖との異名を持つ猪苗代湖を拝むことができると知るやいなや、磐梯山登頂を決行することにした。早速登山ルートを調べてみると、磐梯山中腹、標高1,180mの八方台登山口から東進して山頂を目指すコースが最もポピュラーのようだ。健脚であれば誰でも登れる山ということだが2時間かかるらしい。まあ2時間なら多少の苦労も我慢できる範囲だろう、そう思った。
 下山ルートは磐梯山の噴火によって生まれた銅沼(あかぬま)や噴火の様子を想像させられる火口壁を見ることができるとされる別ルートを通ることにした。しかし上りに対して地図上の距離は2倍ほどある。しかしまあ何とかなると思った。


その判断が、磐梯山地獄に変えた。




◆AM 7:10
 裏磐梯から磐梯山を縦断し南の会津盆地へと抜ける磐梯山ゴールドライン。その途中に八方台登山口がある。ゴールドラインは有料道路なのだが、金を払わないと登山もできないとは嘆かわしい。いや、私は登山がしたいのではなくて遙かなる高みからの景観を楽しみたいだけなのだ。登らずに済むならその方がよい。
 閑散とした道路を走りながら磐梯山を見ると山頂に靄がかかっている。よくあることだが、そういうのやめて欲しい。昨日は雲一つ無かったではないか。少しすると望湖台というポイントに着いた。ここから桧原湖が見えるそうだが、木が邪魔でほとんど見えなかった。木を切って欲しいものだが、国立公園ではそれもできまい。八方台登山口の駐車場に着くと、この時間でもすでに駐車場が満杯だった。大型バスも2台止まっている。そのバスの近くに1台分の隙間があったのでそこに止めることにした。ちなみに駐車場と言っても車が数十台止められるスペースがあるというだけで、白線が引いてあるわけではない。
 で、どこから登るのか。一見分からない。方角的には東の方向だが。すると他の登山客が山に吸い込まれていった。あっちか。


◆AM 7:40 登山開始
 登山者カードを入れる箱があった。そこで書いている人はいなかったが結構入っていたので記念に書いてみた。これで遭難しても大丈夫ということだろうか。どう見ても登山客の入山・下山を確認しているとは思えないのだが。差し詰め登山者数の確認だろうが、書いていない人もいる以上、無意味に近い。


八方台登山口


当日の進行ルートは以下の通り。
八方台登山口―(30分)→中ノ湯―(75分)→弘法清水―(25分)→磐梯山山頂
磐梯山山頂―(15分)→弘法清水―(95分)→裏磐梯スキー場最上部―(55分)→中ノ湯―(25分)→八方台登山口


これは地元自治体の磐梯山登山マップを基にしている。
http://www1.town.bandai.fukushima.jp/kanko/map_tozan.htm


 登山口から中ノ湯までは傾斜の緩い林道といった感じで、スムーズに進むことができた。それでも平地を歩くペースだとやや息が上がるのは上りだけに仕方がない。それでもペースを下げない私は20分で中ノ湯に到着した。ここは一応温泉らしいのだが、廃墟のような趣がある。ところどころ泥のようになった地面からはポコポコと硫黄臭のする火山性ガスが放出されており、何とも形容しがたい雰囲気を醸し出している。ここは特に休憩できるような場所ではないので、立ち止まらずに道を急いだ。


中ノ湯


 中ノ湯の看板には弘法清水まで1.7kmとあった。そんなに遠くないと思ったのだが、かなり遠かった。これは道のりではなく、直線距離ではないだろうか。しかも高低差を度外視した……。中ノ湯を過ぎると、急激に勾配がきつくなった。足場も土と石が半々くらいで、まさに登るという感じだ。ものの数分で息が乱れる。しかし初めのうちは裏磐梯を見渡せるところがいくつかあったので、そこで休憩がてら写真を撮った。


桧原湖
桧原湖


小野川湖(左)と秋元湖(右)
桧原湖


 やがて裏磐梯が見えなくなり、鬱蒼とした山の中をひたすら進むだけの時間となった。息は上がり、テンションは下がる。どう考えても3kmくらい歩いたと思った頃に、弘法清水まで数百メートルという看板が現れた。ちなみにその後の数百メートルも長かった。


登山道
登山道


◆AM 9:00 弘法清水到着
 山頂まであと少し、標高1,630mの弘法清水に到着した。そこで見た光景に、私は目を疑った。
賑わってる?!
どう見ても遠足に来たような親子連れの団体が100人以上いたのである。確かに登山口にバスがいはしたが、まさかここまで登っているとは……。どうやらこのご一行はどこかの小学生が年中行事で来たようなのだが、行事で1,800mの山に登るとは恐ろしい。同伴している教職員・親御さんの心中察するにあまりある。ここで得た知見としては、


小学生は登山道を走る。


 ちなみに弘法清水には小屋があり、飲み物や軽食を買うことができる。ということは売る側の人が必要なのだが、下の方から颯爽と現れて小屋の雨戸を開くおばさんがいた。その速さたるや整備の行き届いたジョギングコースを軽く流すアスリートのようであり、走る小学生よりも強いインパクトを与えた。


◆AM 9:10 弘法清水出発
 小学生軍団が山頂侵攻を開始したので、私も最後の一踏ん張りに向かった。山頂まで30分だが、やはりきつい。安全のため手を付く箇所も多い。こんな山でも中高年層の登山客が割と多いのには驚かされる。私が貧弱なのか?そんな馬鹿な。気合いなら負けん。
 とは言え、実際のところ子供以外はかなり苦労して登っているようではあった。このころの私は息の乱れと軽い疲労感があったがそれは休めば治る程度のものであり、休むためにひたすら天を目指した。


◆AM 9:40 磐梯山頂登頂
 山頂付近まで鬱蒼と木々が生い茂っているため登山道以外は周りが見えなかったが、山頂だけは岩肌で展望が開けていた。普通なら山頂には誰もおらず一人達成感を満喫するような光景を想像したいのだが、登山中前にも後ろにも人がいる状況では夢も希望もない。まあ山頂に着いて誰もいなかったら先行した小学生らはどうなったんだと恐怖におののくことになるが。


磐梯山頂


磐梯山頂


磐梯山頂


 山頂は賑わっていた。とても1,800mの山とは思えないほどだ。私は奥の方でようやく座れるスペースを見つけ、休憩することにした。持ってきた水500mlも残りわずかだが、弘法清水で何かしら買えるので全て飲んだ。それより腹が減ったが……食べるものはない。
 そんなことより山頂はガスっていた。登っているうちに晴れてくると思ったのだが当てが外れたようだ。猪苗代湖がどこにあるのかも分からない。猪苗代湖が見えなければ登った意味さえ失いかねないので、取り敢えず待ってみることにした。しかしまあ、小学生は元気(うるさい)だ。


十時十八分、風がチャンスをくれた。なんてな


見ていた方向よりも左の方に大きな湖が現れた。南と思っていた方角が実は南西だったようだ。眼下に広がる猪苗代湖野口英世万歳!


猪苗代湖 (→SXGAサイズ
猪苗代湖


逆に桧原湖は雲に隠れて見えにくくなっていた。
桧原湖


櫛ヶ峰と沼ノ平
櫛ヶ峰と沼ノ平


◆AM 11:30 下山
 見るモノも見たので、下山開始。上りよりも下りの方が足に負担がかかるのだが、この頃はまだ疲れもなく跳ねるように弘法清水まで下りていった。そして弘法清水はまたしても賑わっていた。小学生軍団が昼食をとっていたからである。私も腹が減ったし、飲み物も無くなったので小屋でポカリスエットカロリーメイトを買い、開けた岩場に点在する親子に混じって昼食をとった。
 さて今度は軍団よりも先に下山を開始した。登山ルートと同じ方角には桧原湖が見えている。しかし私はこれから別の道を歩む。


下山ルート
下山ルート


アップで。
桧原湖


弘法清水から下ってすぐに噴火口を通る裏磐梯登山ルートに別れるはずなのだが、見あたらない。しかし分岐点では看板が北東を指している。そっちは崖のような感じなのだが。よくその方角を見てみると、人が通れなくはないような“溝”を発見した。
ここから落ちればいいのか。




このとき私はまだ知らなかった。そこが地獄への入口だということに。




 その崖は数分で下りることができた。その間、私の後を追う者はいなかった。そりゃそうだ、普通は登山道には見えないのだから。しかし下から上がってくる人がいたので、ここが登山道かどうかの不安が解消された。上がってきたのは外国人青年3名。すれ違いざま、一人目の人が英語で挨拶をしてきたので私も流暢に「Hello」と言った。二人目は無言、三人目は日本語で挨拶してきたので私も片言で「コンニチハ」と言った。このように私は何語で話しかけられても返答に窮することはない。それはオウム返しという技法を習得しているからである。
 

上の写真の岩


ここからは磐梯山から東の櫛ヶ峰にかけて、噴火で崩壊した部分の縁を歩いていった。下の写真を見ると分かるが、すごいところを歩いていることになる。
下山ルート


桧原湖と銅沼
桧原湖と銅沼


櫛ヶ峰方面 (→SXGAサイズ
櫛ヶ峰方面


 登山ルートとは違い、草木もまばらな岩肌を夏の日差しが照りつける中進んでいく。見晴らしが良く起伏に富んだ山肌が目を楽しませてはくれるが、この縁を進んでいるうちはほとんど下山しているワケではないのでまだ辛くはなかった。


これまでの道程
道程


◆PM 0:30 地獄
 これ以上進むと今度は櫛ヶ峰に登ってしまいそうなポイントに分岐点があった。ここから地図上では北西に進路を変えるのだが、噴火で崩壊したところだからキツイのは間違いない。それも引き返すよりはここを下りた方がマシなはずなので、急斜面の岩場を下りていった。
下山ルート


 そこでまた一人、登ってくる人にあった。その人曰く、銅沼のある辺りまでが大変らしい。まあこの傾斜ならそうだろうと思っていたが、実際はそんなものではなかった。初めは岩場だったがいつの間にか森のようになった。しかも傾斜は保ったままである。崖のような森を下るとはこれ如何に。その森に突っ込む直前にはザイルが張られている箇所まであった。朝来た登山道がハイキングコースにさえ思えてくる。森の中では両サイドに何本も鉄のアーチが地面から生えており、それに掴まらないとうまく下りられなかった。そんな森の中、またしても登ってくる人に会った。今度はご老人で、ビデオカメラのバッグを小脇に抱えて革靴を履いていらっしゃる。自殺行為に近いとさえ思った。「結構キツイですよ」と声を掛けると「何度も登ってるから大丈夫」と言っていたが、そのスタイルでこの崖の森を何度も登っているのであればもはや神である。ここで得た知見としては、


最近の神様はビデオカメラを持っている。


 さて、森の中では何の景観も楽しめない。というかこの崖っぷりでは足下以外を見ている余裕もなく、精神的疲労も溜まる一方である。それ以上に被害を被っているのは足そのもので、踏みしめるたびに角度の変わる足場によってダメージを受けている足首から下が痛み出した。そんな地獄森から40分ほどで脱出すると、平で開けた場所に躍り出た。大小様々な岩がひしめき合う、荒涼とした台地だった。点在する枯れ木が痛々しい。何というか、川の水の代わりに岩が流れ落ちたような場所だった。山が崩壊したのだからまさにその通りだと思うが。


荒涼


 ここからは西へ向かい、銅沼を過ぎれば中ノ湯に合流できる。しかしすでに足首から下が痛い。下りだと足の指に負担がかかりそれがまた痛いのだが、どういうわけか銅沼に行くまでに軽く一山越えなければならない感じだった。このときばかりは上りの方が楽だった。そしてやっぱり下りで足が痛む中、毒の沼地が現れた。


毒の沼地


こんなものドラクエ以外では見たことがないが、禍々しいことこの上ない。前日見た青く美しい五色沼とは雲泥の差である。ここも過ぎてしばらく行くと、久しぶりに桧原湖が目に飛び込んできた。木の生えていない草原のような斜面にリフトが佇んでいる。どうやらここが裏磐梯スキー場最上部らしい。ということはここがだいたい下山ルートの中間地点ということになる。下山開始からすでに2時間半。リフトで一気に下りたかったが動いていないし、ここから下りると裏磐梯登山口という別のポイントになってしまう。何とも非情である。


裏磐梯スキー場


 スキー場から銅沼までは早かった。近い上にほとんど平坦だからである。これほど辛い思いをしないと見られない銅沼が一体どういうものか、拝ませてもらおうではないか。


銅沼 (→SXGAサイズ
銅沼


「べっ、別にアンタのためにここまで来たんじゃないんだからね!」
疲れで頭がおかしくなってはいるが、なかなか見応えのある景観だった。空の青、木々の緑、沼の茶色が三色そぼろ弁当のようで美しい。まだ頭がおかしい。


◆PM 2:40 登山?
 目的を失った私は自暴自棄になる余力もなく、ただひたすらに中ノ湯を目指した。地図を見るとちょっと登らないといけないようなのだが、実際はちょっとどころではなかった。行きの登山と同じくらいの傾斜地を登る必要があったのである。そのころ私は足の痛みが膝下まで到達しており、加えてこの上りではちょっと進むたびに立ち止まらなければ辛かった。途中、川の脇を登るようになったのだが、その川が硫黄臭い。つまりこれは中ノ湯から流れているということで、中ノ湯が近いと思って頑張った。でもやっぱり遠かった。精神的に。
地獄は簡単には抜けられない。


 いよいよ上りが辛くてときどき座り込まなければならないほど疲労しきったころ、急に人通りのある道に躍り出た。朝来た登山道に合流したのである。このときほど安堵した瞬間はなく、足取りも軽くなった―――ということはなく、中ノ湯からはいよいよ緩やかな下り坂によるボディーブローが始まった。
 とは言え朝来た道、しかも20分しかかかっていない距離なので、近い将来この苦しみからも解放されると思い、頑張った。前向きに歩くとつま先が痛いので後ろ向きに歩いたらかなり楽だったが転びそうになったのでやめた。この頃すでに足の痛みは太ももにまで達しており、幻聴まで聞こえ始めた。こんな山奥なのに車の走行音が聞こえる。その音も次第に大きくなり、いよいよ車の幻覚が見え始めて精神が崩壊するところまで来た!
と思ったら八方台登山口に出た。


◆PM 3:40 生還
 立ち止まってみると、足より腕が痛い。なんか赤い。紫外線に暴露され続けたことにより皮膚が変色したようである。虫さされのことは気にしていたが日焼けを失念していたことは失敗だった。腕の表と裏でオセロの中島と松嶋を演じることができそうだ。しないけど。


 ともかくこの後悔先に立たず的な下山地獄を乗り切ったので、さっさと帰ることにした。登山開始が7:40だから8時間も山にいたことになる。しかもそのうちほとんどが登山・下山なのだから精も根も尽き果てたわけだ。今度は磐梯山ゴールドラインを南に下るのだが、途中山湖台という景観ポイントがある。ここからは猪苗代湖が見えるのだが、山頂から見ている私にとっては何の感動もない。
 疲れていなければゴールドラインを抜けた後、猪苗代町を通って国道115号で福島方面に向かうところなのだが、もちろん疲れていたので高速道路を使うことにした。早速磐越自動車道に磐梯河東ICから乗り込んだ。その前にコンビニに寄ろうとしていたのだが見逃してしまっていたので、サービスエリアで飲み物を買うことにした。そこから見た磐梯山、いわゆる表磐梯は裏磐梯とは違い女性的な美しさを覗かせていた。


表磐梯
表磐梯


 その後1時間くらいで福島市に到着、家路に就いた。その日は飲み会の予定があったのだがこの疲れでは…………と見せかけてちゃんと参加した。驚くべきことに夜には歩くのも辛かった足の痛みが結構引いていたからである。しかし翌日、後発的な痛み(筋肉痛)に襲われたのは言うまでもない。